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自己紹介

初めまして。社会保険労務士・行政書士の前西原 清城(まえにしはら せいじょう)と申します。

このブログは私が54歳と言う年齢で士業として独立開業し、悪戦苦闘振りを綴っていきたいと思います。何かを始めるのに遅すぎるということはないと言う格言を信じて頑張っていきますので、これから士業で開業しようとする方、個人で起業を考えている方、新たに何かを始めようとする方に、何かしらの有益な情報が発信出ればと思っています。

1965年生まれ。現在54歳。後3ヶ月で55歳。55歳と言えば昭和初期の頃は定年する歳でした。
昭和22年の頃の平均寿命が男性50歳、女性53歳!
現在は約男性81歳、女性87歳になります。戦後75年で寿命が30年以上延びています。そうです、55歳は今日の現代社会においてはまだまだ働き盛りなのです。

話が脱線しましたが、私は沖縄県那覇市壺屋と言う町で生まれました。沖縄に行ったことがあったり、陶器に興味のある方はご存じかもしれません。那覇に行ったら訪れているであろう、かって奇跡の1マイルと呼ばれていた今の国際通りからほど近い場所にあります。また那覇市民の台所である牧志の公設市場からも2、3分でした。

壺屋焼でも有名で壺屋やちむん通りとして名が通っているかもしれません。私が生まれた当時は、家のすぐ側に沖縄県初の人間国宝で琉球陶器の第一人者である金城次郎さんの登り窯があって、その窯から煙が出ていたのを覚えております。

さて、『前西原』という名字ですが、沖縄県でもかなり珍しく、ウチナーンチュでもこの名字を聞いて沖縄の名字と気付く人は少ないです。
この名字は八重山諸島の一つ日本最西端の与那国島に多く、逆に与那国島以外では沖縄本島も含めてかなりレアな名字で滅多にお目にかかれないと思います。あって間もない人からは『西前原』と間違われる事も多いですね・・・

私の父親は与那国島出身で若いときは海人(うみんちゅ=漁師)でした。
母親も同じく八重山諸島の石垣島生まれで、石垣島は八重山諸島の中では政治・経済・教育の一番の中心地になります。
本土からも毎年沢山の観光客が訪れていますし、テレビでお馴染みの具志堅用高さん、夏川りみさん、そして私の大好きなBEGINなどの有名人を数多く排出している島でもあります。

那覇市内の地元の小中学校、高校は沖縄県立沖縄工業高校でした。学科は工業化学科だったのですが、志望の動機は実家から近いことと、小さい時から白衣を着て歩いているにーにー(高校生)達を見て格好いいと思ったのが動機です。

高校時代は弓道部に在籍し、インターハイ、国体に県代表として全国大会を5回程出場する事が出来ました。段位も3段まで取得できたのですが、高校生で3段迄取得できたのは幸運だったと思います。今思えば高校二年の時に県のインターハイ個人の部で優勝できたのもたまたま勝利の女神が私に微笑んでくれたのかもしれません。

18歳の時に進学、就職の為に上京したのですが高校大学と、授業で学んできた事を生かせる仕事に携わったのは一社だけで年数も四年間位でした。私のように、学生時代に専攻した学部の仕事に就いて、その学んだ知識が仕事に即直結出来ている人は意外と少ないかもしれませんね。

18歳から54歳にいきなり飛びますが、現在は川崎で妻と二人暮らしです。

さて、このブログではそんな私がどんな経緯でこの度開業に至ったのか、開業準備の記録などを記していきたいと思います。また、54歳からどうやって、どれぐらいの期間で『食える』だけの収入が得られるようになるのか?そこってとても興味あることですよね?そんなことをつらつらとアップしていきたいと思います。

現実問題、0を1にするのはかなり大変なことだと思います。実際安定した事務所経営が出来るようになるまでどれ位掛かるのか、自分自身でも想像つきませんが、開業したからには生活の為にもやるしかありませんので、覚悟を決めてやっていきたいと思います。